パティシエ青木定治 一度は行きたいパティシエ青木定治。
パティシェ青木定治について
パリ在住
1968/7/1 東京都 52歳
町田調理師専門学校卒業
1991年渡仏 パリ(ジャン・ミエ)勤務
1998年 パリの7区に初のアトリエを開設する。
更に6区にヴォジラール店OPEN
伊勢丹 ミッドタウン 台湾 と次々と店舗をOPEN
パリ市丁章授与
農林水産省 料理マスターに選出
2002/6 元TBSアナウンサーの雨宮塔子と結婚 2児の父となる。
2015/6 離婚
2015/8 一般女性と再婚
夢色パティシエール(日本テレビ系アニメ)の監修をつとめています。
パティシエになった理由
小学校時代を博多で過ごしていました。
勉強はいまいちでやんちゃでしたね!
その当時家でクレープを焼いたり、ババロアを作ったり、肉を焼いたりして、友達を接待していました。
冷蔵庫のなかを勝手に使って、よく怒られていました。
料理というより 当時はやりだしたばかりの電子レンジに興味があったり、ボーイスカウト育ちで、率先してご飯を炊いたり、テントを立てたりしていた記憶があります。
高校を卒業して、昼間はオートバイレースをやりながら、夜間の調理師学校に通っていました。
卒業後ホテルオークラの予定でしたが、満員だったので、スイーツをやっててと【シャンドン】に入りました。
当時はまだ、パティシエという 言葉もありませんでした。
ターニングポイントは【シャンドン】
5人の先輩がいましたが、4人はパリ帰りでした。
向いてないからやめた方がいい と かなり鍛えられました。
そこで、プロのなるなら、パリに行くべきだと思いました。
そこで、チョコレートにかけました。
青木のチョコレートの代名詞【ボンボンショコラ】
カラーパレットのようでわくわく感が半端ない。
僕たちはお客様が、誰かを喜ばせるためのネタを用意して待っているわけです。
これは面白い!と思ってもらえないと、買ってもらえない。
おいしいお菓子造りで需要なモノとは!
お寿司屋さんと同じでネタありきです。
どんなフルーツか、どの粉か、をわかる舌も大事です。
お店の紹介
丸の内店
新宿伊勢丹店
東京ミッドタウン店
渋谷ヒカリエ店
JR名古屋タカシマヤ店
横浜高島屋店