等身大の秀吉座像が大阪で発見された、織田信長と徳川家康のはありますか?
豊臣秀吉の等身大で江戸時代の木像が大宮神社で見つかりました。
近現代の像を除けば秀吉の像で国内最大級です。
徳川家康時代の秀吉信仰がどんなであったかがわかる発見として注目を集めています。
像は
ヒノキ材の寄せ木作り
座った像
高さは81.9センチメートル
国内に秀吉像は20体ほど残っていますが今まで、最大とされていた京都西方寺の81センチを上回ります。
廣瀬宮司によると扉は釘で封印されていて存在は一部の関係者だけにしか伝わっていなくて今回、昨年からの改修工事に伴う調査で確認されました。
豊臣秀吉は死後、豊国大明神の神号をおくられて神として京都の豊国神社等全国で祭られましたが、家康が豊臣家を滅ぼした後神社を壊しました。
江戸時代の随筆では。秀吉を神としてまつることを禁止して神像~束帯をとり、丸坊主することを命じました。(エピソード)公には秀吉を信仰しずらくなったと言われています。しかし大阪などでは秀吉の人気は高くて、絵本太閤記はベストセラーとなりました。1823年に大宮神宮が開帳された記録もあってこの際に秀吉像も公開されたようです。
今回の秀吉像がいつ作られたのかははっきりわかりませんが、神社には1615年の大坂夏の陣の時天守からはこびだされたとの記録も残っています。
市の教育委員会は、開帳の時右手首が修理されたとみられることから、その十数年前には作られていて、17世紀中ごろまでさかのぼるのではないでしょうか。
関西大の教授によれば
神像は普通威厳のある姿かたちに作るのですが、今回のは、好々爺然としていてあまりない形です。公には作りづらかったので、プロではなく彫刻に手慣れた宮大工に作らせ秀吉であることを隠すためだったのではないかと思われるとのことです。
本当に秀吉の像なのかどうかは慎重にした方が酔うのでは、と話しています。
追記
織田信長像で有名なのは
徳川家康で有名な
木造徳川家康座像